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SP革命前夜の公安は、ある意味頑張ってた。。。 [ドラマ「SP」パロディ小説関連]

SP革命前夜を、またも見直して、涙をこらえてるアホの子成瀬です。
そして、見直してすっごい思ったんですけど、今回公安、ある意味めっちゃちゃんと仕事してた?
っていうか、田中君頑張った。
いや、頑張りすぎて、いつもの単独行動が裏目に出ちゃったんですけど。
でも、田中君スキーのワタクシは、田中君の頑張り(?)に敬意を表して(意味不明)PASS付ページにすでに掲載させて頂いた作ですが、こちらでもUPしてみました。
なぜかというと、どうしても、PASS請求が出来ないんだ~!!って嘆く方々がいらっしゃるからないんですが。
っていうか、そのお嘆きのメールを下さるなら、それでPASS請求ってみなして、お返事にPASSを送りつけてるのは、成瀬ですけどね(てへ)
話がそれましたが。
とりあえず、田中君スキーの成瀬の想いが溢れすぎて、ちょっとばかしこぼれたんじゃね?位の勢いの作品ですが、多分根底に流れる二人の位置関係と大幅には外していないはず。。。なんで、大目に見てください。

☆この記事を読まれる前に、まずはサイドバーにありますパロディ小説を読まれるにあたっての注意書きを必ずお読みいただいてから、それをご了承いただいた上で、お読みいただけますようお願いいたします。

下記小説は、ドラマ好きな、SPの一ファンである成瀬美穂の、作品をするが故の、空想の産物です。
よって、実在する作品、人物等に、一切関係はございません。
上記に関し、警告がきた場合には、即刻当該ページを削除する用意がありますので、実在する作品を害する意図は、一切ないことを、併せて明記させていただきます。

========注意書きをお読みいただけましたか?
ありがとうございます。
では、どうぞ。。。

スタート。


 
  天若有情



「休みの日は家で、趣味の読書をしているんじゃなかったのか? 」

 


普段から、他人に対して。
めったと、その感情を露にしないはずの田中にしては珍しく。

言葉自体は、冷静でありながらも、誰の目から見ても明らかな、怒気を含んだ低い声で、そう言葉すくなに責められた井上は。

本来ならば、
『そんなことは、放っておいてもらおうか』
と、抗議の声の一つも上げたいところだったが。


けれど、田中がそんなことを言ったのは。
紛れもなく、自分の軽率な行動に起因していることに気づいている井上は。
ばつの悪そうな顔をして、返すべき言葉を逡巡しながら。

未だ田中に掴まれている、三角巾で覆われた腕と、反対の腕の自分の肘をじっと見つめて。
そこを、なぜだか必死になって掴み。
井上ほどではないにしろ。
それでも、警察官だといったところで、あまり回りに信じてもらえそうにはない、細身の体躯でありながら、自分の片手だけで、井上の体重の三分の一ほどは、ゆうに支えているであろう、指先が白くなるほど力の込められた田中の右手を。
井上は、やんわりと、包帯に包まれた左手の指先を添えて、そっと外させた。

 

そもそも。
なぜそんな状況になっているのかというと。

つい、数分前に、大通りに面した歩道橋の上で、そこから見下ろせる一帯に神経を張り巡らせて、大量に流れ込んでくる状況と、人の感情と、洪水を起こしたような勢いで押し寄せる。
五感が、極端に鋭敏になっている井上にとっては、ある意味、凶器ともなりかねない無数の音の波に攫われないよう、自分の状態をコントロールする為に。
その場で、かなり無理を推してまで、長時間立っていたのが悪かったのか。

井上の予想以上に、自分の神経を蝕むようなそれらに晒されたせいで。
自身の体調の悪化に気づき、危険を回避する為に、そこから踵を返し。
足元で、交差点を行き交う人の群れの多さから、逃れるように。
急速に襲い来る、頭の芯を刺すような音と感情を避けるため。
なんとか、その場を離れようとしたときには、時既に遅く。

鳴り止まない耳鳴りと。
足元から崩れていくようなめまいと。
思考判断力を、容赦なくそぎ落していく頭痛に襲われ。

その場を後にするため、ふらふらと、歩き出した先の階段から。
あわや、まっさかさまに転落、……などという、現役SPにしては、大変不名誉、…なんてことを言っている場合ではないくらい。

かなりの段数が続く、傾斜のきつい階段の上から下まで。
ストレートに落ちていれば、かなりの大怪我。
下手をすれば、首の骨を折って、即死。
……であっても、おかしくはないその場所で。

いくら、そんじょそこらの一般人とは、鍛え方の違うSPである井上であったとしても。

自分の身体も満足に支えられなかったがゆえに、歩道橋の上から転落死、…になりかねないその自身の現状で。
咄嗟に、ろくな受身が取れる、確実な自信もなければ。
病院通いを義務付けられるほどの、負傷中の身である、包帯でぐるぐる巻きにされ、固定された左腕では、自分のすぐ傍の手すりを、にわかに掴むことすら出来ず。

そんな無防備な状態で。
歩道橋の階段の上から、その真下に向かって。
空中に投げ出された身体が、引力に逆らうかのごとく、ふわりと、一瞬だけ嫌な浮遊感に包まれて。
次の瞬間には、伸ばした手が、空を切って、…むなしくも、階段から転落、…と、なるところだったのだが。


一向に、井上を襲う、コンクートの階段を転がって落ちていく痛みは訪れず。

代わりに、がくんと。
妙な力強さで、誰かに右腕を掴まれた井上は。
階段の上で、1,2段だけを踏み外した状態で停止しており。
階段の段差で、弁慶の泣き所辺りをしたたか打ち付けた程度で、右腕を上から引かれているお陰で。

階段から落っこちもせず、しゃがみこむようにその場で膝をついた姿勢で、井上の右腕を引く人間を見上げたが。
その半秒後に、井上は、ぐいっとそのまま、立ち上がらせられて。
その相手の顔を確認も出来ぬまま。
ただ、そのよく見知った背中を、不思議な思いで見つめたまま。

一言も発しようとはしないその人物に、ずるずると、掴まれた腕ごと引っ張られるようにして、人気の少ない、いりくんだ歩道橋の端までつれてこられて。
行き止まりのような、その歩道橋の端で立ち止まると。
掴まれていた腕の力を、少しだけその人物が緩めたことで。
足の力が、しっかりとは入っていなかった井上は。
そのまま、ずるずるそこへ、へたり込んでしまい。

繋がれたままの右腕の存在があったので、その場でひっくり返ることもなく、座り込んでいるだけで済んでいることも事実だったので。
すぐにはその腕を振り払うことも出来ず。
ようやく、黙ったまま、じっと自分を見下ろしてくる、井上の腕を掴んだままの人物を見上げて、口を開いた。

『…田中』

と。

井上が、そう呟くと。
無表情こそが、彼の表情だといわんばかりの、常の態度とは裏腹に。
見るからに、不機嫌そうな顔を浮かべて見せた田中は。
自分に右腕をつかまれたまま、力なくその場にしゃがみこんでいる井上を見下ろして、大きなため息を一つ落としてから。
冒頭の台詞を、口にしたのである。


従って。
いつもならば、田中に対しては、なんの気負いもなく、当然のように悪態をついていた井上だったのだが。
今日ばかりは、すぐさまそんなことが出来そうもなく。
どうしたものかと、困ったように眉根を寄せてから。
諦めたように、一つだけ、小さく息を吐き出して。

普段よりかは、トーンを落とした反論を、するりとその唇に乗せて見せた。

 

「…だから。
お前は、俺の、ストーカーか? 」

 

井上の指先によって、緩く外された、彼を支えていたはずの自分の右手に、ちらりと視線をやった田中は、支えを失った右手を、歩道橋のさびた手すりに移して、そちらに若干体を傾けながらも、斜め下から自分を見上げてくる彼の視線とかち合ったそれを外さないように縫いとめて、彼の形のいい唇が、緩慢な動きで、皮肉な響きを滲ませた言葉をつづる様を、見ていた。

 

「これも、僕の仕事だ」


外された右手を、手持ち無沙汰に歩道橋の欄干へ移動させた田中は、しゃがんだ状態であっても、糸の切れた人形が、ぐにゃりとその身体を折って、前のめりの姿勢で重力に従うように落下していく、数分前の井上よりかは、幾分落ち着きを取り戻した様子を見せている、その顔色と声に。
ようやく、普段の無表情さを取り戻して、呆れを滲ませた、ため息交じりの声で、さらっと答えを返した。


「あっそ…。
お勤め、ご苦労様です」


見るからに、眉間に皺を寄せた顔で田中を見上げていた井上は。
その田中の台詞に、わざとらしくぺこりと頭を下げて見せ。
それから、ゆっくりと、歩道橋の手すりを支えに立ち上がると。
その一本の手すりだけを頼りに、ふらつく上体を支え、一つだけ緩くかぶりを振って。
断続的に続いているであろう、その痛みを追い払うように、ぎゅっと目を閉じてから、くるりと田中に背を向けると。

それ以上、なんの言葉もなしに、その場から離れようと、重い足取りで、駅に向かう方向だからか。
殆ど人の通らない自分たちのいる場所から、まるで作られた法則に従うように、奇麗な動きで人の流れがある方へ、井上は向かいかけた。

その腕を、再度、背後から田中は掴み、井上のその動きを止めさせると。
強引に自分の方を向かせるべく、ぐいっと、その腕を引いた。

階段から転落しそうになったほどの、今の今で。
その田中の力に、逆らえそうもない井上は。
不承不承といった感じで、引き寄せられた田中の腕に従うように、彼のほうを向き、橋の欄干に身体を寄せてもたれかかり。

けれど、最期の抵抗とばかりに、じろりと、傾いた体を橋にもたせかけたままの姿勢で、斜め下から田中をにらみつけた。


そんな井上からの抗議の視線など、全く意に介さない雰囲気の田中は。
掴んだ腕を放さないまま、端的に、諭すようなその言葉を口にした。


「病院に、行けよ」


言われた田中の台詞に、肩を落とすフリをして、大きく息を吐いた井上は、うそぶくように、返事を返した。


「もう、行ったっつーの。
ってか、午前中に行って、包帯取り替えてきたことくらい、田中だって知ってんだろ?
俺なんかのストーカーを、わざわざ国費使ってまで、やってんだから」
「人聞きの悪いことを言うな。
それに、僕が言っているのは、そっちの病院じゃない」
「……午前中も、俺にくっついてたってとこは、否定しないのかよ」
「しない。
井上相手に、僕が嘘を言っても、仕方ないだろ」


確かに。
井上の言うとおり、今日は非番だった彼は、午前中の内に、病院を訪れて、腕の傷の消毒を済ませて、包帯を取り替えてもらっていたし。
田中の言うとおり、そんな井上を、公安の人間として、田中が朝から尾行していたことは事実だった。

が、しかし。
方や、尾行された人間。
方や、尾行していた人間であるにもかかわらず。
お互いのそれを、全く否定せずに語ってしまえる間柄の人間というのも、そうはいないことも、事実だったので。

田中からあっさりと、肯定の言葉を言われた井上は、諦めたように苦笑してから。
もう、逃げる気はなくなったのか。
身体を少しだけずらし、背中を寄りかかっていた橋の欄干に預けるように凭れさせると。
いま自分たちが抱える想いとは、明らかに裏腹な。
間近に迫った春の訪れを告げる、からりと晴れ上がった空を見上げて、そこを見ながら目を細め。
わざととしか言いようのない、無駄口を上げ連ねるのはやめて、本心をストレートに語りだした。


「病院ねぇ…。
なんかさ、行っても全然意味ないし。
逆にこれ以上あそこ行ったら、俺、頭ん中、強制的にいじくられそうで。
さすがに、それはちょっと、…勘弁してって感じ? 」


昨日、このままの状態が進行すれば、外科的処置もやむなしと告げられた。
妙に淡々とした、主治医の女医の言葉を脳裏に思い描きながら、ぼそりと呟く井上の横顔を見ていた田中は。
井上にばれない程度に、痛ましげな表情を一瞬だけ浮かべて消し去ると。
意図的に、感情を排除した、事務的とも取れる口調で、事実を確認するように、井上に話しかけた。


「薬、…効いてないのか? 」


田中の問いかけに、欄干に凭れたまま、くるりと首から上だけをそちらに向けた井上は、眉根を寄せて、返事を返した。


「それも、知ってんのかよ。
まさか、警察病院だからってだけで、患者のプライバシーが、法的に護られてるはずのカルテの中身まで、お前ら公安の権限でみてるとか、言わないよな? 」
「それくらいしそうなところだってことくらい、井上だって知っているだろ」


恐らくそれは、田中の嘘だった。

井上が東京警察病院の、神経科から薬を処方されていることは、公安が病院からカルテを入手したから、田中にそれをわかられているわけではなく。
ただ単に、今より以前に、井上を尾行したことのある田中が、その目でその事実を確認していたに過ぎないことは、井上だって、わかっていることだった。

けれど、それくらいのことをしてもおかしくない組織であることは、間違いがなかったので、田中はその皮肉も込めてか、そんな言い方をして返事を返した。

井上も、それがわかっているから、あえてそこを流して、話を続けた。


「ホント、ストーカー以上だな」
「はぐらかすなよ」
「……なにが? 」
「処方されている薬は、飲んでいないのか? 」
「飲んでも効かない」
「……全く? 」


井上の端的な答えに。
ぴくりと眉を動かしてから、そう尋ねる田中の顔が、心配に曇ったことに。
わずかなその表情の変化で読み取った井上は、少しだけ唇の端を持ち上げてから俯き加減にして笑うと、右手の指先でとんとんと、自分のこめかみをつつくようにして見せてから。
わざと軽い話題のような口ぶりで、田中に答えた。


「コレを止めるには、SPを辞めるしか、なさそうだけど? 」
「でも、辞める気は、…ないんだろ? 」
「ないよなぁ」


もの凄くあっさりと返された、その井上の言葉に。
わかっていたことながら、足元に視線を落とし、疲れたように首を左右に振った田中は。
次にすいっと顔を持ち上げて、井上をまっすぐに見た。


「じゃあ、休みの日ぐらい、大人しく家で、趣味の読書でもしてろよ。
それでなくても、怪我のせいで、デスクワークが殆どとはいえ。
警視庁の中でも、外でも、…井上が公安にマークされている状況は変わらないし。
サポートで入る、警護のある日は、身体が自由に動けない分、いつも以上に神経張り巡らして、磨り減ってくばかりのくせして。
数少ない貴重な休みの日に、こんな人ごみをウロウロしてたんじゃ、酷くなるばかりだろ? 」


田中の指摘は最もなことだったから、井上はそれを否定はしなかった。

今日この場で、井上を尾行していたということは、それ以前も。
そう、普段の井上の行動も、田中は、とっくの昔に、知りえているのだろう。

だからこそのその台詞に。
けれど、その井上の神経をすり減らしているであろう、公安の行為の一端を担っているはずの田中に、本来ならば、お前にだけは言われたくない、……との言葉が、その口から飛び出してもよさそうなものだったが。
今の井上に、それを田中にぶつける気持は、皆無だったので、その部分は追求せずに、自分のとっていた行動の理由を、話して聞かせるに、とどめた。


「なるべく、キツイ状態に慣らしとかないと。
いざって時にぶっ倒れてたら、あそこにいられなくなるから、…とりあえず、その訓練? 」


若者の口調を真似るように、語尾を持ち上げた疑問系で答え。
首を傾けながら、上目使いにそういう井上は。
多少、悪戯をたくらむ子供のような視線をして見せていたが、そんな井上の策略など、歯牙にもかけない田中は、事態を軽く受け流そうとする井上を許さずに、話を進めた。


「それこそ、本末転倒だ。
訓練中に、死んでどうするんだよ」


話を逸らそうとする井上に、容赦なく正論を吐く田中の台詞は、井上の逃げ道を塞ぐに十分な力を持っていて、ぼそぼそと、自信なさげな声で、田中に答えるしかなくなっている井上は、心なしか、田中におされ気味な様相で、いい訳じみた台詞をその唇に乗せるしかなかった。


「受身取ったら、さすがに、死にはしなかったと思うけど?
まあ、この腕だし?
どう考えても、無傷って訳には、いかなかっただろうけどさ」
「当たり前だ。
あの状態であそこから落ちて。
それでも、無事でいられるって思うほうが、どうかしてる。
特撮ヒーローだって、死ぬときは、死ぬんだ。
……ものすごく簡単に」


その声だけを聴いていれば、そこに感情の起伏を見つけるのは、到底出来そうもない、単調なものだったにも関わらず。
静かに語られる田中のそれは、思いのほか強い力を持ち。
最後は。
とてつもなく、重い言葉を落とされてしまったことに気づいている井上は。
仕方なく、ゆっくりと息を吐き出し、無駄なこととわかっていながら、最後の言い訳をした。


「死なない為に、やるしかないから、やってただけだけど? 」
「……なら、せめて。
せめて、どうしてもやるっていうのなら。
一人でやるのは、辞めてくれ」
「…なんで、そんなこと……」
「井上が死んでも、この世界は、何一つ変わりはしない。
今この瞬間に、首の骨の折れた人間の身体が、この歩道橋の階段下に転がったとしても、それをみた人の目には、…それが、自分の目の前の死であっても、所詮他人事にしか映らない。
この世界の人間の殆どが、見知らぬ人間の死に、無関心だからだ。
……だから、井上が死んでも、世界は何も変わらない」
「田中…」
「でも。
僕は、変わる。
井上が死んだら、少なくとも、僕は変わる」


一人でやるのが駄目ならば。
ならば、一体誰に、どういって、先ほど、井上がやろうとしていたことを、理解してもらえばいいのかと聞かれれば。
田中にとて、その回答を用意するのは、困難なことだった。

けれど、それをわかっていながら。
それでも、一人でこんなことをしないで欲しいと言い募る。
井上の死で、世界は何一つ変わらなくても、自分は確実に変わると断言する。
そんな田中の気持を、正しく読み取った井上は、凭れていたそこから上体を起こして田中と向き合うと、素直に頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。


「悪かった」

 

歩道橋の下では、スクランブル交差点を、時折クラクションを鳴らしながら、多くの車が通り過ぎていて、歩道橋の上を歩く人々も、夕刻に近づいているからか、会社への帰路を急ぐサラリーマンや、学校の授業を終えた学生達の姿が増えて。
井上がここへついたときよりも、一際、そこに溢れかえる音も思いも、数を増してはいたが。

それでも、ぽつりと零された井上の謝罪の言葉に、きゅっと唇を噛み締めてそれを聞いていた田中と自分との間には、なんの音も思いも、入り込んでくる余地がないかのように。
しんとした沈黙が、そこに横たわっていた。

それは決して、井上を不快にはしない、沈黙だった。


その落とされた沈黙を先に破ったのは、井上の方だった。

返す言葉が見つからないのか。
もしくは、最初から謝罪が欲しかったわけでもなく、答えを返すつもりなどさらさらなかったのか。

どちらにしろ、何も言葉を発しようとはしない田中をまっすぐに見ていた井上は、小さく唇を動かして、田中に話しかけた。


「なあ、田中」
「……なんだよ」
「お前は、神サマって、…居ると思う? 」


唐突な井上の話しに、驚いたように眉を持ち上げて見せた田中は。
けれど、すぐに元の表情に戻して、橋の欄干に乗せていた右手の指先で、眼鏡のフレームを押し上げると、めんどくさそうに、答えを返した。


「また、神様の話しか?
前にも言っただろ?
そんな、いるのかいないのかもわからないような存在に、僕は全く興味はない。
大体、この世界の現実を前に、そんなものがいると思う人間の方が、馬鹿としか言いようがないし。
仮にいたとして。
だったらそれが、なんなんだ?
いたら、なんかしてくれるのか? 
してくれたのか?
そんなわけない事位、僕なんかに聞かなくても、井上自身が一番に、わかっていることなんじゃないのか? 」
「相変わらず、田中は辛辣だよな。
だから日本人は、信仰心の欠片もない人間だって。
人としての根本の薄い人間だって、諸外国の人間に呆れられるんだろうなぁ」


田中の答えに、のんびりと、そんな言葉を返す井上の声を聴き。
笹本張りの、盛大な舌打ちをかましそうになる自分を、どうにか理性で押さえつけた田中は、吐き捨てるように、その言葉を口にした。


「言っとくけど、呆れるのは、こっちも同じだ。
僕は無心論者で、”神様”なんて名前の、都合が良くて、身勝手な存在を、…一つも信じてなんかいない。
そんなものに縋らなければ生きていけないような人間の方こそ、人としての根本の薄い人間だと、僕は思うね」
「なるほどねぇ。
さすが、田中君。
自分ってモノを、ホント、お前は見失わないよな」
「……井上に言われても、嬉しくない」
「感じ悪ぅ」


足元のコンクリートを蹴飛ばすようにして、すねた口調で返す井上を見下ろす田中は、そんな井上の行為をスルーして、話の続きをした。


「で、井上はどうなんだよ」
「何が? 」
「人に、神様はいると思うかって聞いておいて、何が? は、ないだろ? 」


田中の呆れ返った声に、そうでした、…といった顔をした井上は、飄々と返事を返した。


「いや、俺は、…いるような気もするし、いないような気もするし」
「どっちなんだよ」
「いたとしても、たぶんそれは、世間一般で言う、最後の神頼み的な、…いつか自分を救ってくれる存在としての神サマじゃなくて。
生と死を司るって言うか、…人の力では動かせない、運命的なものを握っているって言うか、…そういう感じの神サマなら、……いるのかも? って、少しだけ思う」


俯き加減にぽそぽそとしゃべる井上の声を聞いていた田中は、知らず、長く深い息を吐いて、話しの先を進めた。


「井上が、運命信奉者だとは、知らなかったよ」
「そういうんじゃなくて。
なんていえばいいのかな…。
多分、神サマってやつは、いるんだよ。
いるんだけど、その存在が、人間と交差することは、決してないっていうか、…そういう、存在なんだと思う」
「だったら、人間と交差することのない存在のはずの神様が、本当にいようがいまいが、どっちでもいいんじゃないのか? 」


話しの終着点の見えない井上の言葉に、田中は結論付けるようにそういうと、言われた井上は、橋の欄干に右腕を乗せて、その腕の上に自分の顎を乗せると。
歩道橋の向こうに見えている、都心のビル群を眺めながら、ふわふわとした声で、答えを返した。


「人間と神サマは、その存在が交差することはないから、人間が神サマになれることも、神サマが人間になれることも、一生ないとは思うんだけどさ」
「……ないだろうな」
「でも、神サマと同じものを、人間は一つだけ持ってるって、俺は思うんだ」
「神様と? 」
「ああ。
神サマが持ってて、俺ら人間も、持ってるもの」
「…なんだよ、それ」


右ひじを橋の欄干に乗せて、そこに小さな顔をちょこんと乗せている井上の横顔を見ていた田中は、そう聞きながら、井上の投げている視線の先に同じように目をやって、そこに浮かぶ、ビルの窓にキラキラと乱反射する光を、忌まわしそうに、目を細めてみていた。


「二つの顔? 」
「………は? 」


井上の言葉に、首を傾げて聞き返した田中の反応をわかっていたかのように。

クスリと、小さな笑い声を漏らして振り返った井上は。
自分が顎を乗せていた右手を、魔術師がするように、すっと音もなく持ち上げると。
指先をぴんと奇麗に伸ばして、それを顔の前に持っていってから、その言葉を口にした。


「神サマってやつはさ、二つの顔を持ってるだろ?
……創造と破壊の顔」


そういって、そんな井上をじっと見つめている田中の視線に気づいているのか。
そのまま顔の前で動きを止めた手の平を、指先をまっすぐ上向きに伸ばしたまま、少しだけ内に向けた親指の付け根と、伸ばした人差し指が、形の良い鼻梁を描く鼻先につく位の場所で止めて、顔の右と左を、右手の掌で半分に分けるようにしてみせた。

左右のどちらかの顔が、創造を司り、破壊を司る。
井上は、それをうかがわせる顔つきで、俯き加減に、自分の顔を二つに分けて、田中に見せていた。


「……人間も、それとおんなじ」
「創造と破壊、……井上の顔にも、その両方があるって言いたいのか? 」
「物事を変えるには、二つの方法がある。
全てを創造する。
もしくは。
全てを破壊する。
どっちが簡単かは、一目瞭然。
だから、何かの変化を求めるときに、全てが破壊されることの方が、格段に多いのは、そういう意味なんだと思う」


そういって、すとんと顔の前で止めていた手を落とした井上は、自分を見ている田中に視線を上げて、苦笑いを浮かべていた。

そんな井上を見下ろしていた田中は、不意に何かを思いついたような顔をして、指先を自分の唇にあてがうと、すとんと、その言葉を返していた。


「けど井上は、創造と破壊を繰り返す神様も、安易に破壊することで何かを変えようとする人間をも向こうに回して。
破壊とは違う方に、……力を入れることにした、ってことか」
「かもしれない。
でも俺だって、ずっとそっちでいられるのかは、わかんないけどな」


微苦笑を浮かべたままそう言った井上に、ため息を落としてからこめかみをかいた田中は、やけ気味に、続きの言葉を言った。


「そっちでいてくれ。
でなきゃ、やっかいなことになるのが、目に見えてる」
「それって、ほめてる? 」


なにごとかを企んでそうな顔を浮かべて見せた井上に、嫌そうな顔をして見せた田中は、投げやりに返事して、明後日の方を向いた。


「そう聴こえるんなら、耳鼻科に行った方が、よさそうだな」
「そうか? 」
「ああ。
その前に、眼科か? 」


あざとい声でそう言った田中に、訝しげな声で井上は返した。


「なんだ、それ? 」


井上からの問いかけに、言われた田中は、視線を向こうへやったまま、井上の方を見ようともせず、唇をやけに明瞭に動かして、その言葉を言った。

 

「昨日、見えたんだろ? 」
「…何が? 」
「井上流に言えば。
尾形さんの、…もう一つの顔」

 

そこで言葉を切った田中は、ふっと顔を井上の方へ向けて、なんとも言えない目をして、井上を見ていた。


昨日。
田中の言う昨日に、井上が目にしたものは。

それは、尾形の持つ、もう一つの顔だったのかもしれないし。
そうじゃなかったのかもしれない。


昨日、警視庁のエレベーターホールで。
新しい理事官として着任した人物と、声も密かに、何事かを耳打ちしていた尾形の声が、5感の感覚が増した今の井上の耳に、聴こえなかったといえば、嘘になる。
けれど、井上は、あえて、その声に耳を塞いでいた。

だから、実際には、聴こえなかったのではなく。
答えは、聴かなかった、……が、この場合は、正しいのだが。

どちらにしろ、尾形の発したそれは、井上が、聴きたくないと、無意識にでも思ってしまうほどのものでもあり、実際、井上の耳に届かなかった以上、案外、どうでもいいことだったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれないが。
結局のところ、あの場で、尾形と理事官の間で、何の言葉が交わされていたのかは、今更、知る由もなかった。


けれどそれは。
確実に、狂気に満ちた雰囲気を、醸し出していて。


その空気に、知らず井上は、尾形をじっと見つめていたことに。
尾形自身も、間違いなく、気がついていた。


ただ、そのあと、4係のメンバーと、当初の予定通り、尾形のポケットマネーに奢られた井上は。
そのことを、一言たりとも、尾形に聴くことは出来ず。
尾形もまた、井上が気づいていることに、気がついているはずなのに。
なにも、言おうとはしなかった。

言い訳の一つもしてくれれば。
井上は、それが嘘だとわかっていても、それを鵜呑みにしてもいいとすら思っていたにもかかわらず。
結局最後まで、尾形は井上に、その胸のうちを明かすことはなかった。


そのことに、多少混乱した井上だったが。
けれど今は、それこそが、尾形の答えだと思っていたので、田中の問いかけに、ごく自然な口調で、返事を返していた。

 

「創造の、…じゃなくて? 」
「創造の、じゃなくて。
破壊の方」
「見えた。
…とも言うし、見えなかったとも言う、…かな? 」


井上の答えに、苛立ちを隠せない息を吐いた田中は、ごくごく普通のサラリーマンを装う為か。
左手に持った、黒のビジネスバックを持つ指先に力を込めて、無理矢理、何かをやり過ごすような表情を浮かべていた。

そんな田中をちらりと見やった井上は。
ことさら、軽口を叩くように、話の先を急いだ。


「っつーかさ、田中。
お前、昨日も、俺のストーカーやってたわけ? 」


芝居じみた半笑いの声で、そういう井上を一瞥した田中は。
眉間に指先を当てて、二、三度そこを揉むように動かしてから、眼鏡越しにじっと井上を見つめて、静かに尋ねた。


「辞めないのか」


深刻さを隠そうともしない田中の声に。
観念したのか、浮かべていた薄ら笑いを素早く引っ込めた井上は。
田中の視線をまっすぐに見つめ返して、口を開いた。


「なにを? 」
「それでも、井上は、SPを辞めないのか? 」
「辞めない。
っていうか、それで辞める意味、全然わかんないし」
「そんなわけないだろっ! 
井上をSPにしたのは、あの人だ」


あまり荷物が入っているとは思えないほど薄っぺらな、カモフラージュのために左手に持ったビジネスバックを、投げつけなかったことが不思議だと思えるほど、声を荒げた田中に。
そんな、天と地がひっくり返りそうなことを、平気で田中にさせているのは自分自身だとの自覚があるのか。
少しだけ、申し訳なさそうな顔をして。
けれど、冷静さを保ったままの声で、田中のそれに、言葉を返した。


「でも、SPになることを望んだのは、俺自身だったってことを、忘れてないか? 」


それは、田中を黙らせるのに、十分な威力を持つ、言葉だった。

井上に、そういいきられてしまっては、もう、田中にいえることなど、何一つ残ってはいなかった。
だけど、何をか言わずには居れない。

そういう目で、じっと井上を見ている田中と視線を合わせていた井上は、困ったように息をつき、言葉の先をつむいだ。


「なあ、田中。
お前は俺に、一体何を言わせたいんだ?
どんな答えを返せば、お前は納得するんだよ」


尋ねるというよりかは、懇願するような井上のそれに、言われた田中は、突き放すような答えを返した。


「納得なんて、できないよ」
「だったら…」
「納得なんて出来ないけど、諦めることも出来ない」


そう。
井上の言うとおり。
納得できないのならば。
だったら、もう、放っておけばいいだけのことなのに。

なのに、田中は、そうしない。

そうしない理由を、ぽつりと田中は口にした。


「人間ってのは、複雑怪奇な生き物だってことだよ。
僕も、井上も、…それから、尾形さんも」


そういって、鞄のもち手を握る指先に、一層力が入ったことをみやった井上は。
田中の左手にあるビジネスバックを、
「爪が食い込むぞ」
とだけいってから、すいっとそれを取り上げて。

空っぽに近いその鞄の中を覗きこみ。
重さを増してしまった空気を軽くするかのように、口を開いた。


「お前これ、中、からっぽなんじゃねぇの?
いくらカムフラージュ用でも、なんかいれとけよ」
「入ってる」
「は? 」
「ちゃんと、はいってるよ。
空じゃない」
「嘘、マヂで? 」


そう言った井上は、人の鞄であるにもかかわらず。
そんなこと、どこ吹く風といった様子で、さっさと鞄のファスナーを開いて、中を覗きこみ。
そこに入っていた、たった一冊の文庫本を取り出し、その表題を見てから、クスクスと笑い声をかみ殺した。

左手を三角巾で吊ったままの井上が、持ちにくそうに広げたかばんの中から取り出したその文庫本は。
「論語」の文庫版だった。


「田中も、趣味は読書、…の口なのか? 」
「悪いか? 」
「いや…。
でも、岩波文庫とは、…田中って、見た目どおり、堅いな」
「見た目と中身の180度違う井上から見たら、誰だって見た目どおりだろ? 」
「そっかぁ?
あ、そうだ。
どうせ漢詩よむなら、李賀とか、俺はオススメ」
「もう読んだ」
「…さすが、読書が趣味の、田中君」


そういいながらも、まだ笑いを納め切れていない井上を、いつものことと思っているのか、全く相手にしていない田中は。
出したとき同様、大概苦労しながら、あけた鞄に本を戻して、ファスナーを閉じるのに四苦八苦している井上を見下ろして、囁くように、その言葉を口にした。


「40にして惑わず、…か」


今しがた、井上が手にしていた、田中の荷物の中にあった「論語」の一説に出てくるそれを、小さな声で口にした田中に、視線を上げた井上は、それが誰のことを指しているかなど。
改めて聞くまでもなくわかりきっていることに、苦い顔をして、田中が言葉を続けるのを、黙って聞いていた。


「惑いなく、あの人が向かおうとしているところは。
……一体、どこなんだろうな? 」
「さあな…。
それがわかれば、お前がこんなとこにいる必要は、ないんじゃね? 」
「…確かに」


下の道路を行き交う交通量のせいか。
煤汚れた感じのする、ねずみ色をした、歩道橋のアスファルトを、靴先でトントンと叩きながら、そこに視線を落としていた井上は。
深く重い息を吐いた田中を、ちらりと見上げて、その言葉を差し向けた。


「でも…。
田中は、本当に、係長が迷ってないと思うか? 」
「……え? 」
「俺は、……係長は、そんなに強い人じゃないと、思う」
「井上? 」
「もしかしたら。
強いと思わなければ、居た堪れないほど、…本当は、弱い人なのかもしれないって。
俺は、思う」
「井上……」
「大体さ、係長が、本当に、何一つ迷いなく、今の道を選んでいるのだとしたら。
だとしたら、そもそも、警察官になったこと自体、おかしいとは思わないか?
係長が、自分の保身の為か、身勝手な想いのためか。
それがなんのためであろうとも、現状を変えることを目的として、そのために、正攻法で攻めることをかなぐり捨てて、何かを為そうとしているのならば。
なら、…あの人は、警察官なんかにならなくても、なんにでもなれたはずなのに、それなのに、あの人は警察官になった。
警察組織を、自分の手で変えたいと思うのなら、それこそ、官僚にでもなんでも、なればいい。
もしも、それ以上に、完全な悪を目指しているのなら。
係長の持つカリスマ性を利用するなら、上から強引にでも物ごとを動かそうとする政治家にだって、なれたはずだし。
東大法学部を出てる尾形さんなら、その気にさえなれば、裁判官にでもなって、合法的に人の命を奪うこともできるし、検察官になって、犯罪者って呼ばれる人間を、片っ端から起訴していけばいい。
たとえそれが無理でも、やろうと思えば、弱者を踏みつけに出来る、悪徳弁護士にだって、なれたはずだろ?
でも、係長は、そのどれにもならなかった。
ならない代わりに、警察官になった。
しかも、警察官僚ではなく、現場にいることに、何よりもこだわった。
そこに意味があるんだと、……俺は思ってる」


そこまで一気に話した井上は、小さく息をついて、唇を噛み締めた。
そんな井上の口元だけを見ていた田中は、そこから視線を逸らして、その疑問の声を投げた。


「だから井上は、尾形さんを信じているのか? 」
「盲目的に、”係長を信じてる”って、いうつもりじゃない。
それは、相手への負担にしかならないから。
ただ、俺が、信じたいんだよ、…誰よりも、係長を」
「あの人は、井上が自分を信じてるってことを、……信じたくないだろうけどな」
「それでもいい。
田中や、公安の人間。
そしていつか、係長を信じられなくなる人間が、増えたときに。
いつか誰もが、係長のしようとしていることを、疑ったときにこそ。
俺は、係長を、信じたい。
例えそれが、間違いであったとしても。
誰もが係長を疑うというのなら、俺はその逆を行く。
……そういう人間が、一人くらいいたって、…別に、かまわないだろ? 」


最後は、唇の端を持ち上げて。
気丈にも、笑って見せた井上に。
田中は、目を閉じて、天を仰いだ。

この想いの欠片だけでも。
それだけでもいいから。
それが、尾形に届くのならと。
……田中は、願わずにはいられなかった。


「お前、ホント、…馬鹿」
「馬鹿も結構、幸せかもしれないだろ?
だって、少なくとも俺は、不幸じゃねーもん」
「幸せでもないくせに」
「そんなの、わかんないだろ? 」
「わかる。
少なくとも、井上よりは」
「お前って、……俺の何? 」
「そんな、どっかの低俗な女が言いそうな台詞は、聞きたくない」
「それって、女性蔑視じゃね? 」
「彼女じゃないことだけは、確かだな。
彼氏でもないけど」
「どっちも、かーなーり、嫌だな、それ」


ケタケタと笑いながら答える井上に、ちらりと視線を寄越した田中は。
その笑いを引っ込めさせる視線で井上を見ていたので、井上は渋々肩を落として、田中の言葉の先を、大人しく聞くべく、口をつぐんだ。


「大変なのは、これからだってこと、わかってんのか? 」
「…わかってる」
「この先、尾形さんは、お前にとって…」
「言うな」
「…………」
「言わなくていい。
わかってるから」


静かに。
けれど、覆せない意志の強さを滲ませたその声色に。
今度は、田中が口を噤む番だった。

言われなくても、わかっている、……ことを、誰よりもわかっているのは。
本当は、田中自身だったから。

だから田中は、黙るしかなかった。

そんな田中を見返した井上は、ふっと硬くした声を解いて、話しの続きをした。


「でも、俺さ。
係長が、俺をSPにしてくれたのって。
まあ、そこには、色んな意図があったにせよ。
根本のところでは、…もしかしたら、俺を、テロリストにしないためだったんじゃないかって、…なんか、自分で言ってて、すげーうぬぼれてるみたいだけど、思う」
「なんでそう思うんだ? 」


田中は、井上に奪われたままだったビジネスバックをさりげなく井上の手から取り返すと。
それを元通り左手に下げてから。
右手で眼鏡のフレームを押し上げ、井上に問いかけた。


「俺、SPになってなかったら、麻田を護らなかったし、山西と刺し違えてても、全然可笑しくなかった。
っていうか、俺なら、…やろうと思えば、簡単に、あの二人を殺せた。
違うな。
俺は、あの二人だけじゃなくて。
多分、俺が関わった事件全部、……俺なら、警護対象者だった人間を、全部、……確実に殺せてた」


まるで他人事のような口調で、そう言い切った井上は、そこで言葉を止めると。
田中に鞄を奪い返されたせいで。
だらりと、身体の横に落とされていた右手を、重そうに持ち上げて、その掌に、視線を落とし。
俯いているからか、妙にくぐもった声で、その言葉を吐いた。


「この手はきっと、人を簡単に殺せる」


それだけをいって、その開いた掌を、ぎゅっと握り締めた井上は、そこで顔を上げて、田中を見た。
その目は、もう、先ほどの言葉に潜ませた闇を、映してはいなかった。

だから、田中は何も言わず、井上の言葉を黙って、聞き続けていた。


「だから係長は。
俺を、テロリストにしないためだけに、俺をSPにして、…そして、今も何かを、為そうとしている気がして、ならないんだ」
「……で? 」
「だから、係長が一体何をしようとしてるのか、本当のとこ、俺にはわかんないし。
何のためになのかも、…本当の理由は、わかんないけど。
けど、少なくとも。
俺をSPにしたのは、俺をテロリストにしないためで。
今になって、わざと俺にあんな感情を向けてきて見せるのは、…そうすることで、俺を、あっち側に行かせない為なんじゃないかなって。
なんでだかは、ホントわかんないし、かなり自分本位なものの見方でしかないけど。
けど俺は、…そんな気がして、仕方がない」


そこまで言った井上を見ていた田中は。
一際大きなクラクションの響き渡る、歩道橋の下の喧騒にちらりとだけ目をくれると。
歩道橋の手すりに腰掛けるようにしてもたれかかり、遠くに視線を投げるようにして、顎を引いた。


「ふーん」
「なんだよ、その意味深な感じは」


田中の思わせぶりな口調に、素早く反応した井上は、自分の方を見ようともしない田中に抗議するべく、彼の視線の前に、自分の身体を移動させた。
そして、そのことに気づいた田中は。
視線だけを井上に移して、唇を動かした。


「いや、お前はホントに、何も知らないんだな、…って思って」
「はぁ? 」


田中の意味不明な説明に、大げさに首を傾げて見せた井上に。
わざとらしく、田中はお得意の台詞を、口にした。


「ひ・み・ちゅ」
「お前、マジでウザイ」


田中の口ぶりに、いささかげんなりとした口調で返す井上を見て。

表情を改めた田中は、
「冗談だよ」
と、そんな井上を宥めるようにいった。


その言葉で、ようやく気を取り直したのか。
田中に詰め寄りかけていた身体を離して、井上は言葉を続けた。


「じゃあ、なんなんだよ」
「自分で気づけ」
「……は?
お前、言ってることめちゃくちゃじゃね? 」
「思い出してやれよ、ちゃんと」
「…はい? 」
「井上が覚えているのは、あの日の雨の音だけなのか? 
あの惨劇の中に塗り込められた、悪意だけだったのか?
他には本当に、何も覚えていないのか? 」
「お前、何言って…」


何かを確実に知っていそうな。

そしてそれは、井上にとって、絶対に、無関係ではないことなのに。
けれど、決してそれを語ってくれなさそうな様子の、そんな田中の言葉で。

戸惑いを隠せない井上の声に。

田中は、そうと気づくには、かなりの努力を要するほどの、微妙な表情の変化を見せて。
それに気づいた井上の瞳には、哀しげな表情に見えたそれを動かせないまま。
ゆっくりと、薄い唇で、その言葉を、形作った。


「井上も尾形さんも。
その手はきっと、人を簡単に殺せるんだろうけど。
その心はきっと、人を簡単には、殺せないんだよ」
「…田中? 」
「井上と尾形さんは、抱えてる哀しみの種類が、似ているんだ。
だから、お互いをわかりすぎて、…返って、わからなくさせてるんだろうな」
「そういうもん、…なのか? 」
「そういうもんなの」
「どうせ似るのなら、もっと違うのが、よかったな」


ポツリと残された井上の願いは。
けれど、それが叶わないことを知っている人間にしか出せない声色で。

田中の哀しみに歪んだ表情を、一層深くさせた。


「尾形さんは、お前より少しだけ大人で、少しだけ嘘が上手で、少しだけ弱くて。
そして、少しだけ、……哀しい」
「田中…」


ゆるりと落とされた田中の言葉に、井上は、顔を顰めて彼の名を呼ばわった。


「そんな顔したって、僕は、何にもしてやれないぞ。
僕は、…公安の人間なんだから」


搾り出すように呟かれたその声と台詞のギャップに。
言われた井上は、苦笑を禁じえずに、答えるしかなかった。


「別に、何もしてくれなくてもいい。
ただ、…死なないでいてくれたら、それだけで、十分、…かな? 」


微苦笑を浮かべながら、歩道橋の欄干に右手を添えて、未だ本調子ではないらしい身体を支えるように立ち、田中の方をまっすぐに見てそう語る井上を見返した田中は、少しだけ、己の薄い唇を噛み締めるように顔を顰めると、すぐにいつもの無表情な自身に戻し、明後日の方を向きながら、わざと憎まれ口を叩く為に、その重い口を開いた。


「ついさっき、階段から転げ落ちそうになって。
打ち所悪かったら、死んでたかもしれないような状況に陥っていた人間にだけは、”死なないでくれ”なんて、そんなこと言われたくないし。
そもそも僕は、井上と同じ警察官とはいえ、公安部の人間であって、警備部の人間じゃない。
何が楽しくて、赤の他人の、…人の弾除けなんかに、好き好んでなっているんだかしらないけど。
そんな、なんのためだかわからないようなもののために、自分の命を張ってまで。
皮肉としか言いようのない、”動く壁”なんて呼ばれている、警備部のSPなんぞの井上なんかに、命の心配をされちゃ、僕もおしまいだね」


途中で、大した息継ぎを挟むこともなく。
かといって、感情の起伏も見せることはなく。
そんなことを、さらっと、一気に話して見せた田中を眺めた井上は、困ったように笑って、答えを返した。


「相変わらず、減らず口叩くのが、好きだな、…田中は」
「当たり前だ。
口が減ったら、困る」
「はいはい」


至極まっとうな田中の答えに、笑いをかみ殺しながら、適当に返事を返した井上は、歩道橋の手すりにもたれかかって、自分の方をすでに、見向きもしていない田中の横顔を眺めてから、一呼吸だけおいて、話しかけた。


「なあ、田中」
「…ん? 」
「これって、24時間体勢? 」
「なにが? 」
「俺の行動確認」


井上の一方的な質問をかわすように、適当な相槌を打っていたはずの田中は。
その最後の井上の言葉で、弾かれたように井上のほうを向き、顔を上げた。

が、しかし。
その唇が、何かの言葉を吐くことはなく。
逡巡した視線だけが、思案するように虚空をさまよっていた。

それに気づいた井上は、すとんと肩の力を抜くと、さらりと続きの言葉を言った。


「別に俺は、お前を責めてるんじゃないから。
素直に答えろよ」
「……………」
「なんでそこで、黙るかな…。
なんか、これじゃあ、俺が田中をいじめてるみたいじゃん」
「……責めたければ、責めてもいい。
けど、…辞めるわけには、いかない」
「だからぁ、責めるつもりなんて、最初っからないって。
そうじゃなくて、これは24時間体勢なのか? って聞いてるだけだろ? 」
「……………」
「田中」


普段とは立場が逆転したような。
そんな、井上の宥めるような声に促されたかのごとく、苦虫を噛み潰したような顔をした田中は、諦めたように肩を落として、あまり流暢とは言えない話し口調で、答えを口にした。


「…そうでもない。
でも、今日は井上が非番だから、…とりあえず、夜にお前の部屋の電気が消えるまでが、僕の勤務時間、…かな」
「あっそ。
ちなみに、田中は単独行動? 」


田中の答えなど、ちっとも気にしていない風な井上は、簡単に次の質問を繰り出してきた。
そんな井上の普段と何一つ変わらない飄々とした態度に、根負けしたかのように、気を張るのを投げ出した様子の田中は、そこから先は、さらさらと言葉を続けて言った。


「僕が、人と一緒に、行動するタイプに見えるか? 」
「……見えない。
ってかさ、お前についていけるヤツなんて、そうそういそうにないでしょ? 」
「室伏さんにも、同じことを言われたよ。
……まあ、結論から言うと。
あの人がそう判断してくれたお陰で、僕は、動きやすくしてもらってる」
「あの人、何事にも、”めんどくせぇ”しか言わなさそうな人間なのにさぁ。
意外と人を見る目は、あるんだな? 」


警備部に所属する井上とは、部署こそ違えど。
警察組織という、果てしなく縦割り社会な組織において。
間違いなく、井上よりはるかに、階級も年齢も上の人間である室伏に対して。
ある意味、もの凄く失礼な物言いを、なんの衒いもなく続ける井上に、苦笑するしかなかった田中は、己の上司の援護を試みるというよりかは。
あまりにもな判断をされている室伏の、井上の中の印象を、多少改善すべく、言葉を返した。


「室伏さんは、ずっと公安畑だったから、人の裏側を見るのが、得意なんだよ」
「俺のは、全然見えてなかったみたいだけど? 」
「見えてるよ。
井上は、いつだって、嘘は言ってない。
だから、室伏さんがわからないのは、当たり前なんだ。
あれは、わかっていないんじゃない。
わかっていることが、本当のことだと、…室伏さんが、信じられないだけなんだよ」
「田中って、……室伏さん派? 」
「ちゃかすな。
室伏さんには、井上の本当の姿が、ちゃんと見えているはずなのに。
目の前の井上が言っていることが、嘘偽りのない、ちゃんとした真実なのに。
それが室伏さんの目には、ちゃんと見えているはずなのに。
なのに、…公安が長かった室伏さんには、それがどうしても信じられない。
そんな人間が、こんなところに、本当に存在するなんて、…人の裏側の、汚い部分ばかりを見てきたあの人には、どうやったって、理解できないんだよ」


疲れたように、そう言葉を締めくくった田中を見ていた井上は、どう答えを返すべきか。
幾分考え込むように視線を彷徨わせてから、芝居がかったフリで片手を外国人がするように上向きに上げて見せ、言葉を投げた。


「なんか、人間不信の巣窟みたいだな、それって。
俺は、そんな公安には、行きたくねーって感じ」
「いや、多分。
誰にだって、……お前の考えは、そう簡単には、信じられないさ」
「けど、田中は違うんだろ? 」


かぶりを振って、室伏を擁護する、…というよりも、井上こそが、奇異な存在であることを、暗に語った田中を見ながら、井上は上目使いに、そう言った。
その視線を受けて。
田中は、そこから逃れるように、目を伏せてから、返事をした。


「僕だって、頭では、ありえないと思っているよ。
ただ、世の中にはありえないことが、簡単にありえることを、目の前で見せられているから、信じざるを得ないだけだ。
井上薫が、”普通”って定義じゃ、全くもって、推し量れない存在だってことをな」
「あんまり嬉しくないことを、本人に向かって、そうはっきり断言しなくても…」
「けど、それが真実だ」


どことなく、重い言葉で締めくくったその田中の口ぶりに。
橋の欄干に乗せていた右手を持ち上げ、こめかみを軽くかいてから。
しぼんでしまった、二人の間にある空気を、無理矢理にでも膨らませる為か。

今話していたことが、まるで、どうでもいいことのように話題を切り上げて、話しの矛先を変えた。


「なるほどねー。
ま、この際、なんでもいいけど…。
とりあえず、帰るか」


そういって、つい今しがた、自分が落ちそうになった階段の方へ向かうべく、踵を返した井上の背中に、田中は声をかけた。


「ああ、気をつけてな」


するりと田中の口をついて出た台詞に、背中を向けていた井上が、三角巾に包まれた左腕を庇うように、そっと右肩越しに振り返り、きょとんとした顔をして見せた。


「何言ってんの? 」
「なにが? 」


素っ頓狂な声で呟かれた井上の疑問に、こちらもまた、何が聴きたいのか全く持って予想も立っていないような声で聞き返した田中を見て。
本格的に話をしなければならないことに、先に気づいた井上は、くるりと背中を向けていた身体を、再度田中の方へ戻して。
それが、ごく当たり前のことのように、話した。


「田中も帰るに、決まってんじゃん」
「帰るよ。
……井上の後からな」
「なんで同じトコ行くのに、別々に移動する必要性があるんだっつーの」
「は? 」
「は? じゃないだろ、は? じゃ。
今日は、俺が寝るのを見届けるまでが、田中の仕事なんじゃなかったのか? 」
「別に、井上が変な行動さえ起こさなかったら、これ以上僕は、お前の目に触れるところには現れないから、いないものと思ってくれてたら、いい」
「それって、なんかの冗談? 」


田中の返してきた答えに、眉間に皺を寄せて、見るからに不機嫌そうな顔をした井上は、そう確認するように言うと。
言われた田中も、なにをいいだすのやら、…とでも言いたげな顔で、返事を返した。


「まさか。
あの時、階段の上から、井上が落ちそうにさえならなければ。
僕は、井上の前に姿を見せるつもりなんて、さらさらなかった。
だから、井上の前に姿を見せてしまったのは、僕の失敗だけれど。
そもそも、井上があんなところから落ちそうになったことが原因だったんだから。
お互い様ってことで、今日のことには、目を瞑れよ。
……でなきゃ、僕とは違う人間が、井上にくっつくことになる」
「それは、すげー嫌かも。
ってか、田中以外の人間だったら、下手すぎて、すぐに気づきそうで、嫌」


本当に。
心底嫌そうな顔をした井上の、眉唾物の台詞に呆れ顔を見せた田中は、素早く口を動かして、言葉を返してきた。


「僕は、公安のルーキーだ。
その僕の尾行に気づかなかったくせに、そんな文句言うなよ」
「すげームカつく、その台詞。
お前絶対、自分のこと、お尻の青いルーキーだなんて、爪の先ほども思ってないくせに、そんなことを、平然と言ってるんだろ?
嫌味かっつーの」


ぶつぶつと。
放っておけば、際限なく続きそうな井上の苦情の羅列を止めるべく、田中は肩を落として、その場しのぎにしかならないとわかっていながら、話を締めくくろうとした。


「とにかく。
今日のことは、忘れろ。
その方が、お互いの為だから」
「イ・ヤ・ダ」


田中の懇願に近い提案に対して、一字一句を、思い切りはっきりと、唇を動かして答えた井上に、田中は自分のおでこに手をやりながら、そこで起きはじめようとする頭痛の元を抑えるようにして、井上の名を呼んだ。


「井上…」
「俺は、自分が階段から落っこちそうになったトコを、人様に助けてもらったことを忘れるような、…そんな、恩知らずな人間じゃないし。
田中が、この寒空の下で、俺が寝るまで待ってなきゃいけないってわかってて、部屋ん中で自分だけヌクヌクとのんびり読書なんて、いくら俺でも、そんなことを平気でなんかやってられない」
「そんなこと、井上が気にすることじゃない。
これが、僕の仕事なんだから」
「俺は、気にする。
田中の仕事を否定するつもりは、毛頭ないけど、何をしていようと、お前はお前だろ?
俺は、今日仕事休みだし。
だったら、今の俺にとっては、お前は田中一郎であって、公安の田中じゃない」


自分の方を見ている田中に向かって、何の気負いもなく、さらっとそんな言葉を募って見せた井上を、怪訝な表情で見つめた田中は、ゆっくりとその唇を動かして、問いただした。


「……井上。
お前、今、僕に何されてるか、わかってる? 」
「護衛? 」


本当は、わかっているくせに。
それでも、にこりと笑って、そんな回答を出してみせる井上に、指先で眼鏡のフレームをぐいと押し上げた田中は、眉根を寄せて、言葉を返した。


「……馬鹿、監視だ」
「そっか?
ま、どっちでもいいじゃん。
なんにしろ、俺は今日、SP休みだし。
仮にSPだったとしても、その護る側のSPが、公安に護られるなんて、貴重な体験も出来たことだし。
結論から言うと、俺が田中に助けられたことに、なんの変わりもないってことだろ?
だから、そのお礼に、俺んちで、晩飯食ってけよ」


口の両端を奇麗に持ち上げて、先ほどから浮かべている笑みを絶やすことなくそんな台詞をのたまった井上を、虚をつかれたように、眼鏡の奥の目を瞬かせて見つめた田中は、困惑気味の声を発した。


「…本気か? 」
「本気も本気。
っていうか、こんなことで、嘘ついてどーすんの? 」
「信じられない。
なんでそんな風なんだよ。
なんで…。
いつも、いつも、井上は、なんでそうやって…。
だから、室伏さんも」
「室伏さんの話しは、もういいよ。
ってか、係長の話しも、もうナシな」


井上の言葉を否定するかのごとく、左右に首を振りながら、抑えきれない感情の発露を、どうにかして沈めようと、搾り出すようにそういう田中を宥めるように、井上はすとんと、その言葉を落とした。


「確かに、田中は公安で、俺はSPで。
でもその前に、俺もお前も、人間だから」


その井上の言葉で、それ以上何も言えなくなってしまった田中は、口をつぐんで俯くしかなかった。
それは、酷く田中らしくない態度であり。
逆にいうと、井上の知る、田中らしい態度でもあったそれに。
伏せられた田中の顔を、覗き見ていた井上は、肩頬だけを上げてふっと笑うと、くるりと背を向けて、さっさと歩き出そうとしながら、口を開いた。


「あ、帰りに、成城石井にでも寄ってこーぜ。
久しぶりの休みだから、俺ん家の冷蔵庫、見事に空っぽ」
「……いつもだろ? 」


それほど力のこもった声ではなかったが、それでも、普段のお互いのやり取りに近い田中の憎まれ口に、背中を向けたままの姿勢で笑みを深くした井上は、それをするりといつもの表情に戻して、後ろを振り返って言い返して見せた。


「もしかして、公安って、人の家の冷蔵庫の中まで、調べてるのか? 」
「そんなわけないだろ。
井上の部屋の冷蔵庫が空っぽなことくらい、僕でなくても、誰にでも想像できることだ」
「尾形さんと同じこと言うの、やめてくんね? 」
「なんで? 」
「前、尾形さんも、俺がぶっ倒れてて、俺ん家に来てくれた時、お粥作るための材料と道具を、そういいながら、ちゃっかり持参してた」
「材料、…は、わかるけど、道具って? 」
「いや、実は俺の部屋。
そのときは、警察学校卒業してすぐだったし、帰って寝るだけの生活だったから、キッチンにガスコンロも用意してなかったんだけどさ。
なんか尾形さん、どこ情報か未だにわかんないけど、それ知ってたみたいで。
お粥作るためにって、雪平とカセットコンロを持参して、ついでにそれ、置いて帰ってくれた」


初めて聞かされる、井上のあまりな生活態度に、呆れるのを通り越して、もう、言葉も出ないって顔をした田中は、それでもなんとか言葉を続けることに成功していて、言われた井上は、ばつの悪そうな顔を浮かべるしかなかった。


「井上、…お前、ホント、なにやってんの? 
生活能力がなさ過ぎる、…というよりも。
人として、普通に生きるということ自体を、放棄してるんじゃないのか? 」
「それも、尾形さんに言われたから、もういいっつーの」
「あっそ。
で、それで何するつもりなんだよ」
「鍋?
やっぱ、冬は鍋っしょ。
一人じゃ出来ない料理だし」
「鍋ねぇ…」


話が夕食のメニューに映ったことで、とたん声に張りを取り戻し、ニコニコと擬音語が浮かんできそうな表情をして答える井上を、眉間に皺を寄せて眺めた田中に、首をかしげた井上は、探るような声で、尋ね返していた。


「田中って、…鍋は嫌いなのか? 」


その的外れな質問に、頭を抱えたくなる想いをどうにか押しやって、田中は答えを返してやった。


「この際、好きとか嫌いとか。
そういう次元の問題じゃないと、僕は思うけど」
「じゃあ、なんなんだよ」


ぷうっと頬を膨らましそうな勢いで聞き返す井上に、盛大なため息をついてから、田中はその台詞を口にした。


「監視してる側の僕と、監視されてる側の井上が。
こともあろうに、尾形さんの用意した、雪平とカセットコンロを使って、鍋をつつくとはね…」
「なんか、問題あるか? 」
「この場合、なんの問題もないと思ってる井上が、可笑しいって。
…僕がそれをいったところで、お前はそれ、認めないんだろ? 」


投げやりにそういう田中を見ていた井上は、眉尻を下げて、破顔した。


「笑うな。
ここ、絶対に、誰がどう考えても、笑うところじゃないから」
「いいじゃん。
俺、田中と鍋できるの、嬉しいもん」


唇から白い歯を零してそういう井上は、それだけを田中に伝えると、くるんと田中に背中を向けて、今度こそ、勝手に田中がきちんとついてくるだろうことを確信しているとしか思えない態度で、体調の悪さを反映したのだろう。
わずかばかりに、重そうな足を動かして、家路へ向かい始めていた。


「なあ、井上」
「ん? 」
「僕って、井上の何? 」


さっさと前を歩く井上に、足音も低くついていっている田中は、歩きながらそんなことを口にして、言われた井上は、歩を緩めて問い返した。


「なんだそれ。
さっきの意趣返しか? 」
「いや、…素朴な疑問」
「あっそ。
で、答えなきゃだめなのかよ」
「嫌ならいい」
「諦め、はやっ」
「潔い、と言え」
「さすが、理屈をこねるのが得意な、公安期待の新人サマ。
ものは言いようだよなぁ」
「もういい」


井上のまぜっかえすような言葉遊びには、端から付き合う気のない田中は、さっさと話を切り上げさせてしまった。
が、井上は。
一つだけ、田中に気づかれない程度に息を吐くと。
もしも、警視庁からさほど離れてはいないこんな場所で。
他の公安の人間、もしくは警護課の人間がその姿を見ても。
なんのかかわりもない二人が、歩道橋の上を、ただ、歩いている。
そんな様子にしか見えないように、わざと並んで歩くことをせず。
そのため、すっと、肩越しに後ろを一瞬だけ見た井上は、すぐにその顔を前に戻して、独り言を聞かせるように、その言葉を口にしていた。


「同期」
「そのまんまだな」
「仲間、友達、…親友?
それって、なんか、違うよな…。
そうだなぁ…。
強いて言うなら、……戦友、ってとこかな? 」
「なんだ、それ」
「戦って、勝って、…それで、一緒に生きて還るのが、俺たちの目標? 」


そこで、階段まで辿りついた井上は、その足を一段一段、慎重に下に運びながら、斜め上にある田中の顔をちらりとだけ振り返って、そう言った。


「井上のそれは、4係の人間だろ? 」
「4係の皆は、仲間でいいんだよ。
石田さんたち三人を戦友にしたら、…いろんな人に、俺、恨まれそうだから」
「…は? 」
「たとえば、可愛い娘の千花ちゃんとか、娘の無事を心配するご両親とか、ホントにいるのか疑わしいけど、学生時代から付き合ってるらしい彼女とか? 」
「井上。
お前、なんでそんな…」
「さすがの田中も、そこまではまだ、リサーチできてなかったか? 」
「巻き込んじゃいけないって、思っているのか?
尾形さん以外の人間を」
「そういう意味じゃないよ。
そりゃ、自分の意思で始めた人間と、そうでない人間が、同じリスクを背負うのは、違うと思うけど。
ただ、戦友は、…田中だけで十分、ってだけで。
それがイコール、他の人間を巻き込んじゃいけないって訳でも、田中を巻き込んでもいいって訳でもないし。
そもそも、巻き込むも、巻き込まないも。
起きるもんは、ほっといたって、現実に起きるし。
避けようのないことは、どのみち、避けようもなく、起こりうるだろ?
結局、どうやったって、こんな仕事をやっている以上、どんなに危険を避けたところで、それは、向こうから勝手にやってくるようなもんなんだしな。
だから、俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて…」


途切れることなく、そんな言葉のやり取りを続ける二人は。
それでも、その足を止めることなく、一度は井上が落ちかけたその歩道橋の階段を下り続けていた。
ようやく階段を下りきった井上は、そこで歩を止めて、数段上を下りてきていた田中を振り返ると、ふと顔を上げて、その質問を投げてきた。


「あ、けど…。
もしかして、お前、迷惑だった? 」


その問いかけに、渋い顔をした田中は。
数歩井上から遅れて階段を降り切り。
隣に並んだ井上をじっと見てから、ぽそりとその答えを口にした。


「……そうでもない。
背中を預ける相手が井上だったら、後ろからやられる心配だけは、しないで済む。
そんな相手は、そうそういない」
「だったら、いいじゃん。
寒くなってきたから、早く帰ろうぜ」


吊られた左腕の上から、無造作に掛けられただけのダッフルコートの端を、右手でずり上げた井上は、寒そうに身をちぢ込ませて見せて。
再び、今日が初めての監視ではないはずの田中が、とっくの昔に井上の自宅を知っていることなど百も承知だったが。
それでも、先を案内するかのように、さっさと田中の前を歩き出した。


「なあ、一つだけ、聞いてもいいか? 」


包帯に巻かれた腕の分だけ、ぎこちなく身体が傾いた姿勢のまま、前を行く井上の薄い肩を眺めながら、後ろを歩く田中は、力のこもらない声で、するりとそんなことを言った。
言われた井上は、歩きながらそれを聞き、振り返ることもなく、返事を返した。


「なにを? 」
「あの時…」
「ん? 」
「あの時、井上は…。
本当に、あれでよかった、…って、思っていたのか? 」


田中の言うあのときが、どのときかだなんて。
今の田中の問いかけでは、決してわかりようもないはずなのだが。
すんぶ違わずに、田中の聞こうとしていることの意図を図りとった井上は、間髪入れることなく、その答えを口にした。


「良かったのかどうかなんて、俺にだってわからない。
ただ、…俺が、あの時、アトリウム記念館で、麻田の演説を聞きながら、自分の中で想像したことを、実際に口に出したら。
もしくは、あのコンサートホールの舞台の上で、麻田を背に、山西と向き合ったときに思ったことを、話して聞かせたら。
俺は、即警察をクビになって、それこそ、公安の人間に、要注意人物として、一生付き纏われるだろうけどな」


歩くスピードをかえることもなく、そんな空恐ろしいことを平然と口にした井上の背中に。
予想できていたこととはいえ、井上があの場でなにを考えたのか。
それが、わかりすぎるほどにわかってしまった田中は、ぎゅっと目を閉じて、けれど、それをぱっと開いた後には、なんの感情の機微も伺わせない口調で、話しの続きをした。


「でも、井上は、そうしなかった」
「出来なかったんだよ。
正確に言うなら、…な」


出来なかったと答える井上の背を見ながら、田中は心底思った。

あの場でそうすることは、赤子の手をひねるほどに、簡単なことだった。
なのに。
そんな、平易なことを、”出来なかった”と言えること自体が、田中に深い息をつかせるにたるできごとだった。

3つ数える間分くらいには、深いため息を落とした田中は。
何事もなかったかのように、自然と前を歩く井上の姿から視線を外さずに、言葉の先を紡いだ。


「山西が語ったことの半分は正しいと、僕は思う」
「……何が? 」
「SPとして、簡単に挿げ替えの利く要人を、命がけで護ることに、…一体、なんの意味があるのか、僕も全く理解できない」
「意味なんかないよ」


田中の、あの場で山西の語った、……井上たちSPのアイデンティティーを、根底から覆しかねない問いかけに対して。
井上は、あっさりと、なんの意味もないと、答えて見せた。

そのことに、戸惑いを隠せない田中は、ゆるゆると、次の質問をしようとしたが、迷いのない井上の淡々とした答えに、それは阻まれた。


「じゃあ、なんで…」
「意味なんかないけど。
けど、あの二十年前の雨の日から、俺が何を思って生きてきたのか。
それを話したとしたら、俺は、警察官ではいられなくなる、……確実に。
そういう人間なんだよ、俺は」
「でも、井上は、SPを辞めない」
「…だな。
SPでいることが、人でいることの、ボーダーラインだからなのかもしれないし」
「だから、井上は、SPでいるのか? 」
「それだけじゃないよ。
ただ、俺みたいな人間が、これ以上この世界に増えることを、俺は望まない。
そんな、不幸な人間を増やすだけのようなことを、……俺は、出来れば、したくない」

 

二十年前の出来事は、確かに、不幸の連鎖を呼んだのかもしれない。

実際、二十年もの月日が経った今になって。
山西は、麻田を殺めようとし。
井上は、それを命がけで阻み。
そんな山西を、尾形が撃った。

それで全てが終われたのかといえば。
決してそんなことはない。
きっとまだ、何一つ終わってなどいない。

だからこそ。
井上の状態は、悪化の一途を辿り。
尾形の態度は、井上に不信感を抱かせるものに、変貌したのだから。

ならば、二十年前のあの雨の日から連綿と続く不幸の連鎖は。
未だに、何一つ解決などしていないのだ。


それがわかっているから。
自分と同じように、苦しむ人間を増やしたくないという井上の想いは、田中にだって理解できる。

それは、ある意味理想だった。
謂れのない不幸に苦しめられた人間の全てが、自分が苦しんだ分、他の人間がそうでなければいいと。
そう思うことが出来れば。
この世界の明日は、もっと違うものになるのかもしれなかったから。


けれど、自分が不条理に苦しめられ続ける現実を前に、そういい続けられる人間は、そうはいないとも、田中は思った。


だからこそ。
前を向いたまま、真摯な声でそれを語る井上を見ていた田中は、その声を聴きながら。
なぜこの想いが、世界に届かないのかと。
訳もなく押し寄せる悔しさに、きつく唇を噛み締めることしか、できなかった。

 

「救える命なら、救いたいと、俺は思う。
例えそれが、…どんな人間であろうとも」
「……馬鹿」
「さっきから聴いてたら、お前、人のことをバカバカ言いすぎだ、バカ」
「馬鹿に馬鹿っていって、何が悪い」
「そんなに言われたら、ホントにバカになった気がするから、やめろって」
「本当に馬鹿だ、井上は」
「ああ、そうですか」
「馬鹿だよ、本当に」
「ハイハイ、わかりました。
バカでいいですよ、バカで」


言い始めたら、簡単には折れない田中を誰よりも熟知している井上は、いい加減な口調でそう返し、歩くことで少しばかり落ちかけていた左肩のコートを、ぐいっと右手で引っ張り上げながら、スタスタと、行き交う人の波を奇麗に避けて、足を動かしていた。


「そこまでして、人を護ろうとすることの理由は、…一体、なんなんだよ」


押し殺したような、その田中の問いに。
トンと、両足を揃えて立ち止まった井上は、ゆっくりと後ろを振り返り、自分の背に視線を縫いとめていた田中と向き合って、まっすぐに彼の目を見つめ返した。

そして、ゆっくりと息を吸うと、抑え目のトーンながら、妙にはっきりと聴こえる声で、その言葉を、唇に乗せていた。


「理由なんかない。
でも俺は、目の前で人が死ぬのは、見たくない。
その為に、目の前の命を、…その人を、護るSPになった。
だからそこには、理由なんか必要ない。
ただ、護りたい。
それだけ」

 

”ただ、護りたい”

その言葉を、現実のものとするために、一体どれほどの苦難を伴うのかなど、推して知るベしといったところで。

なによりそれは、決して、
”それだけ”
などと、簡単にいえる様なことではないことは、誰にだってわかることだった。

もちろん、警察組織というだけではなく、その中の公安部という、特殊な場所に身をおく田中にとっても、わかりすぎるほどにわかることで。
しかも、自分の命を盾にして、人を護ることが職務の警護課で、SPというより一層特殊な立場にある、尾形にはもちろんのこと。

そして、ことのほか。
いま自分が上げ連ねたほかの誰よりも。
そのことを一番、自身の身を持って知っているはずの井上が。

その井上こそが、”ただ、護りたい”と。
そしてそれを、”それだけ”などといえること自体が、稀有なことと言えた。


その稀有な存在は、その言葉に、一点の曇りもなく、生きてきて。
真摯に現実と向き合い、穢れなきその瞳で、闇に染まった世界を、ずっと見つめ続けてきたのだ。


”ただ、護りたい”


その、理由なんかない。
揺ぎ無い、想い一つを。
人知れず、胸に刻んで。

 

そうやって、まっすぐに自分を見てくる、その透明な色をした井上の瞳だけを。
その向こうに映された世界を、覗き込むように見ていた田中は。
不意に、鼻の奥がツンと痛くなる感覚に、そこから目を逸らした。

瞼の裏が、やけに熱くなるそれに、田中はそっと目を伏せた。

 

悟りは、一瞬だった。

だからか、…と、田中は、理解した。

 

この瞳を、20年前に。
あの雨の日に、あの状況の中において。

それでも、青年だった尾形は、少年だった井上に、この瞳を見せられたから。

だから、その瞳に魅入られ、そこから目を逸らすことを、他にも多くの人間がいたはずのあの場で、ただ一人。
青年だった尾形だけが、それをよしとしなかったから、今の尾形はあるのかと、……なんの根拠もなく、その刹那。
ただ、田中は、そう感じた。

 

それほどに。
その井上が浮かべる瞳は、田中の中の何かを、大きく突き動かして。
止めようもなく、激しく、揺さぶっていた。

 

二十年前の、あの雨の日に。
この瞳に映されたものは、両親の死と、人の悪意と、そんな目を覆いたくなるような、醜悪な世界だったはずなのに。
決して、その瞳を閉じようとはせず。
あの日から、二十年の時が経った今。
この瞳が見ようとしているものは、そんな醜悪な世界とは、まるで正反対の未来であることに。


田中は、かける言葉さえも失い。
ひたすらに、その心のうちで、その想いを刻んでいた。

 


もしも。
そう、もしも。
もしも、天に情けがあるのなら。


どうか。
どうか、彼らの願いが叶う明日を、この世界に。


この世界から、人の心に巣食う悪意が消えることはない。
人の命が、無碍に奪われることがなくなることも、ありえない。

だから、たとえそれが、一時の夢だったとしても。


それでもいい。
それでもいいから。
その為に、彼らの費やした時間の全てを、どうか無駄にしないで欲しい。


もしも、天に情けがあるのなら。


どうか。
どうか、この想いが、聴き届けられる今日を、切に祈る。


その為に、差し出せるものが、この手にあるのだとしたら。


そうであるならば。
何を差し出してもかまわないとすら思った、尾形の切なる想いを、今。


踵を返して、自分の前を歩く、井上の背中を見つめ。
田中は、尾形願ったそれと、同じ想いを抱きながら。

その祈りとも願いともつかぬ、それらを凌駕したであろう、切実なまでの誓いを。
痛いほど、その胸に、感じていた。

 


「井上」
「なに、まだなんか、あんの? 」


立ち止まったままの田中を残したまま。
さっさと歩き出した井上を、硬い声で呼んだ田中に、井上は振り返りもせず、答えた。


「井上」
「だから、なんなんだよ。
はっきりいえよ、はっきり」


自分の名を呼ぶだけ呼んで。
けれども、それ以上の言葉を紡ごうとはしない田中に焦れた井上は、ようやく足を止めて、ぐるんとめんどくさそうに振り返ると。
自分をまっすぐに見てくる田中の、静かな表情に、表情を改めた。


「井上」
「…田中? 」


田中が、ふざけた気持やいい加減な気持で、自分の名前を、何度も呼んでいるわけではないことを、瞬時に悟った井上は、首を傾げるようにして、田中の名前を、呼び返した。


「天若有情」

ぽつりと零された田中の言葉に、井上は小首をかしげるようにして、その言葉を口の中で、繰り返した。

『天若有情、……若しも天に、情けが有るのなら』

という、その、遥か昔の詩人が詠んだ。
その願いのような、それを。


「は? …李賀か? 」
「お前、それって、信じる? 」


なんの修辞もいれずに話される田中の言葉に。
先ほど自分が薦めた漢詩の一節を持ち出して、そう尋ねる声に。
怖いくらいの真剣さを読み取った井上は、遠くを見るような目をして、その答えを、…想いを、口にした。


「…そうだな。
できれば、…信じたい、…かな? 」


そういって頬を緩めて見せた井上の。
その浮かべた笑みの儚さが、胸を刺す痛みを飲み込んだ田中は。
それを気づかせないほどの、凪いだ声で、話しの続きを、その唇に、静かに乗せた。


「井上。
尾形さんは、もう一人の、お前だよ」
「えっ? 」
「救える命なら、救いたいんだろ? 」
「ああ」
「けど、一番救われたいのは。
いや、救われなきゃいけないのは。
井上自身であり、尾形さんだってことを、…忘れるな」
「お前、何言って…」
「井上。
諦めるなよ、……何があっても」
「…田中? 」
「尾形さんを救ってやれるのは、井上。
お前しかいないんだから」


静謐な声で囁かれる、田中のそれに。
一瞬だけ、わずかに目をみはった井上は。
その次の瞬間には、首の骨が軋むのではないかと思えるほど。
ゆっくりと、けど確実に。

こくんと。
そうやって、重く、深いうなずきを返した井上は。
降ろしたときよりも、更に時間をかけて顔を上げると。

持ち上げたかんばせをまっすぐに田中へ向けたまま。
小さく笑って、その言葉を呟いた。

そして、言われた田中は。
彼が、滅多と見せることのない、薄い笑みをその頬に浮かべて、最後の言葉を口にした。

 



「……できれば、いいな」
「できるさ。
もしも、天に情けが有るのなら、…な」




END



SPSPのあと、…っていうか、予想通りに、一歩も前に進んでない感じの(←暴言)SPSPだったので、…あのエピソード4のラストと同じ、尾形さんと井上くんの対峙シーンの翌日、…って設定でコレを書いたのですが。
普通に考えて、アレの後にこんなのがくるって考える、ってか、妄想してる成瀬って、…かなりバカ?
ってか、楽天家過ぎ?

いやいや、でも成瀬は、尾形さんと井上くんの関係も。
はたまた、田中君と井上くんの関係も。
こんな感じであって欲しいと願ってるので、こういうお話になりました。

なんだか、賛否両論受けそうな話運びですが。
とりあえず、SP<劇場版>が来るまでは、何かいても捏造にはならないので、妄想を続ける成瀬を、お許し下さい。


ええ、妄想が暴走し続けている成瀬の次回作は、「ついている男」のラストと思いきや、多分もう一本、暗い(←自分で言うな)話だと思います。

西島さんと尾形さんが、井上くんのことを話してるお話。
ええ、あの西島さんがお亡くなりになる、前日のお話の予定(ええ?)

そこを捏造する私って、かなりいけてない人の気がしますが、西島さん好きなんで、最後にコレだけは、書かせてやってください、ハイ。


というわけで、そんな作でもお許しいただける方は、次回作『Keeping the faith.』を、ご覧下さいませ。。。
とりあえず、GWくらいには頑張って書きたい!(←希望的観測)


Copyright © Miho Naruse All Rights Reserved. 1997-2011


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